岩登りとのおつきあい
30代で会に入ったとき、会の先輩に御在所や南山などに、岩登りに連れて行ってもらいました。テンションかけるとお股が痛いウィランス型のハーネスに、ボリエールの「フィーレクラシック」というまさにクラシカルなクライミングシューズ。サイズはブカブカ、カチカチソールで今なら怖くて履けません。
クライミングジム(当時名古屋には一軒だけマニアックな(?)ジムがあった。)に行く人も周囲におらず、「フリークライミング」という言葉さえよく知らないまま、クライミングの練習というと、岩場に行くしかないので、とぎれとぎれながら続けていました。
始めた当初から、うまい人を見ていると自らのセンスのなさというものはやはりわかるものです。「向いてないなー」と思いながらも何とかしようと40代も半ばくらいから頑張るようになり、一時は岩登りばかりしていたときもありました。親の介護などでいったん途切れましたが、最近また細々とやりだしました。
振り返ると、岩登り一途というわけでもなく、ブランクはありながらも細く長く、といった具合に続いていますが、今は加齢もあってケガとカチカチになっていく体と闘いながら、どんどん後退していくのをなんとかくい止めようとしているような始末です(笑)。
岩登りの何が面白いのか、やらない人にときどき聞かれますが、うまく言えません。
24年前に亡くなった元労山会長の吉尾弘さんがご存命なとき、吉尾さんの本を買ったら裏表紙に「岩登りは精神の緊張と肉体の解放」と直筆で書いてくださいました。偉大な先輩にはたいへん僭越ながら、「ひょっとしてそれかも…」と思うことがあります。
岩登りは若い頃や始めた当初は、調子よく進んでいき、人よりもうまく登れたことなどが大きなモチベーションになったりしますが、特別な才能がないかぎりだれでもどこかで頭うちになります。登れるか登れないか、結果もはっきり出てしまうし、「クライミングはセンスと才能」という人もいるくらい、上手な人にはあっという間に抜かれてしまう残酷なところもあります。
私の周囲でも、私なんかよりはるかに上手で一生懸命やっていたのに、もったいないことに何かの拍子にぷっつりやめてしまった人もたくさんいました。
上達への努力はもちろん大事ですが、それが他人や自分との競争だったり、功名心からだったらいずれ疲れてしまいます。「岩登りを楽しむ能力」も同時に磨いていくのも非常に大事なことではないかと最近は思うようになりました。好きなことをずっと好きでいられるように。(HH)