こわ~い藪こぎ
※若駒山岳会は安全に拘った山岳会であり、私の数ある体験談は若駒山岳会とはまったく関係ありません。これからの会活動としてリアルな体験談をもとに安心安全について考えるきっかけになればいいなーと思います。
沢のこわ~いシリーズ最終回です。
沢登りの藪こぎって皆さんはどんなイメージをお持ちですか?最近の会山行では常念岳の東尾根で北国の太くて固い笹薮を掻き掻きしましたね~。奥美濃なんかも藪の深い山域ですが雪深い山域の藪はとにかくたくましく立派です!最終回はあまりにも藪が深くて進退きわまった体験談です。
沢登りには地形図を眺め、何かありそうな渓を探訪するという楽しみ方があります。とある雪深い地域にあるダム対岸の渓で遡行記録が無い沢へ入った時の事です。ダムのバックウォーターから対岸に渡り目的の渓までダムの湖岸をトラバースし目的の沢への入渓をこころみます。悪い斜面をトラバースし、トラバースが困難な所は尾根に登り、尾根上から降れる所を探しては谷へ降る。これを繰り返し、ずっ~と太く固い笹薮を掻き分け続け、ようやく最後の尾根越えまで進んできました。ここからは高さが3m以上あるシャクナゲの藪漕ぎがはじまります。木登りのように枝に乗り込み、空中でザックをおろし、枝を広げて体を枝の中へねじ込む。また次の枝に乗り込み、体をねじ込み、ザックを引っ張る。これを永遠と繰り返します。体はキズだらけ、ウエアも破れ、精神的にも見た目もボロボロ。ようやく目的の沢への入渓を果たし、目的の大滝まで来ました。さらに大滝を越えるには、またシャクナゲの藪の中へ突っ込み大高巻きです。体力的に精神的に限界を感じる厳しい状況の中で戻る選択しかありませんでした。とりあえずビバークして体力の回復に努めます。次の日は尾根と谷を越えるルートよりも尾根沿いのルートを選択した方がシャクナゲの藪漕ぎは少ないのではとルート取りを考えますが、尾根上の越えれない藪を巻くために藪漕ぎで斜面を下って藪漕ぎで斜面を登って尾根に戻るという最悪な状況と、さらに違う尾根に入り込んでしまい元の尾根に藪漕ぎで戻る。どんどん体力は奪われていきます。水も食べる物も底をつきます。動き続けられなくなり空中で枝に引っ掛かった状態で止まっている時間の方が長くなってきました。「もう戻る体力が残ってないな~、これが遭難か~」とあきらめの気持ちが99%と、あと1%だけ残る気持ちがゼロになるまではと、ゆっくり少しずつ、ただただ何も考えずに無心で進みました。「あ~、もう駄目だ~」目を閉じ枝に絡まった体の力を抜きます。体はさらに深く藪の中へ引っ掛かりながらも落ちていきます。「止まったな~」と思いながらも目は閉じたまま動く事を完全に放棄しました。しばらくして、ふとザックのポケットに一口サイズのチューブ塩ようかんが1本残っているのを思い出し無意識に口に入れました。「あ~甘い」今から思うと、あんな少量を一口入れただけで残り1%の気持ちが切れる事なく10h以上かけて下山できた事が不思議でなりませんでした。しかし下山できた時の喜びはなく、人はこうやって遭難するのか~と、遭難救助や捜索に、どれだけ命のリスクをおかし迷惑をかけてしまうのか?「行きたいやりたい」が、いつしか自分の実力を越え冒険になっていた事に気づき深く反省しなければならない体験でした。
沢を中心にバリエーションを志向し山行をする中で、こわ~い体験をしてしまった原因は基本的な訓練不足や基本的な知識・技術に対しての応用力と、難しい場面や状況に対しての対応力などが不足しているにもかかわらず自分勝手な「行きたいやりたい」の意識が強すぎた結果につきると思います。さまざまな登山態様として単独登山、山岳会、友人関係、ツアー、ガイド登山、講習会、学校登山等々がありますが、これら登山態様の全てに安心安全への責任があり過去の裁判事故事例からみても自己責任では済まされない部分があります。
さまざまな登山態様と、さまざまに多様な考え方やスタイルで登山を楽しむ自由は平等にあると思いますが、その中で自己責任では済まされない部分をどう理解し、安心安全に対する活動を自分事としてどう行動につなげ遭難のリスクを回避するかを考える。私の数ある体験談がその一助になればと思います。