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会員の山登りを始めたきっかけやエピソードを紹介する会員のつぶやきです。まだ会員1年未満で僭越ながら2番手として紹介させていただきます。

よく山登りの経験を年数で聞かれることがありますが、いつも2〜3年と、当たり障りない所で答えてしまいます。その理由は小学生の頃は、山が遊び場でしたので、どこから勘定すればよいのかわからないと思っているからです。ピークまで往復するスピードを競い、登山道から藪へ突っ込み最短ルートを探し、斜面を転がりながら下る。自分の拘りとして、自由にルートを切り開く楽しさと、まだ見ぬ世界を見たい今のスタイルのベースがそこにあるからだと思います。

大きなターニングポイントとなったのは20代の頃です。新聞の見開き一面にカラーで黒部の十字峡の紹介記事を見たときでした。初めて知った黒部峡谷の存在。とにかく参考文献を読みあさったのを覚えています。剣沢に幻といわれる滝があることを知り、8008谷といわれる谷の存在。沢登りというスタイルがること。その域に達するには技術と経験が必要なこと。なかなか時間は取れませんでしたが、愛知の山というガイドブックを買って低山からコツコツと経験を積んでいこうと思ったのが沢登りに向けてのスタートだったと思います。ガイドブックを片手に山へ行き、本に載っているルート図だけでは歩けない事を知り、そして地図だけでは方向が分からなくなる事を知り、コンパスの指す方向どおりに進んでもズレてしまうことから磁北線の存在を知り、失敗しながら少しずつ学びを得ていったと思います。

山よりも家庭や仕事の方の比率が大きく、岩登りの技術や経験について山岳会の門を叩くにいたった頃には40代になっていました。その当時の山岳会(若駒ではありませんよ!)の先輩たちは厳しく何年たっても岩登りや沢登りを経験をする機会に恵まれませんでした。その間はSNSで知識を得てチャンスが来たときにはいつでもできるように準備をしていたと思います。そんな時に海外のサイトでソロシステムの技術を知り、自分で道具を加工してこっそりと外岩で練習するようになっていました。沢登りも一人で行くようになったのもこの頃からでケガも多かったですが、できなくなるのを恐れて誰にも相談できませんでした。

ある時、丹沢で沢登りのガイドをやっている方と知り合いになりガイドツアーをお手伝いさせてもらえる事になりました。もちろん無償です。交通費も自前です。報酬はガイド技術を見せてもらえる事だけです。2シーズンほどお世話になりました。その時にパートナーを見つけることを勧められました。ただし、沢登りで何が難しいか?同じ志向をもったパートナー探しが一番難しいと….但し書き付きで。そこからは、かなり積極的にパートナー探しをしたと思います。色々なサークルや色々な山岳会、山で出会った人にも声をかけていました。沢専門の山岳会に所属したのもこの頃だと思います。結局、同じ志向を持ったパートナーとは巡り合うことは、かないませんでした。

今まで、きちんと教わったことがなかったのもあり、クライミングの登山学校へ入ったのは50代になってからです。本当の理由は、最後の望みをかけて、最後のパートナー探しでした。しかしクライミングを始めようとしている人にとっては未知の世界だったようで、完全に引かれてしまいました。どんな山行でも試行錯誤しながら、迷いながら、その一歩一歩が、まだ見ぬ世界へ行くための準備というのが私の山への向き合い方だったと思います。20代の時に見た新聞の紹介記事から始まった、まだ見ぬ世界は年齢的にも難しくなり、準備の段階であきらめてしまいました。

今は生涯通して、まだまだ、山と関わり続けたいと思っています。終活というか、終わり方探しというのが今の山への向き合い方に変わり、若駒山岳会にお世話になることにしました。若駒のメンバーを通じて、それぞれのやり方、それぞれのペース、それぞれの楽しみ方があるのを知りました。当時の私と同じ思いや同じ悩みを抱えながら山に向き合っている人もいて、そんなメンバーをサポートすることは楽しいです。まだまだ試行錯誤しながら、迷いながらの終わり方探しですが、若駒のメンバーとの出会いを通じて経験出来ていることは、私にとって初めてのことだらけで、これもまた新鮮で楽しいです。やはり私の山の経験値として、2〜3年というのは間違っていないのかもしれません。これからも若駒のメンバーと共に、もう少し自信を持って経験値が語れるように頑張っていきたいと思います。N-guy