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考え方の相違から同じ言葉でも捉え方が違い上手く会話が嚙み合わないと感じる事が多々あります。それはパーティー山行が単独山行化している状況であり、危険を感じる事さえあります。色々な考え方ある中で、単独が駄目というイメージだけのパーティ山行になっていませんか?という問いについて考えてみたいと思います。

パーティ山行のメリットとは何でしょうか?メンバーのサポートが受けやすい。遭難した時の対応が早い。パーティ山行の方が遭難率は低く、遭難した時の救助率が高い。表面的にはそうかもしれませんね。

何よりもパーティの総合力がケガや遭難を回避できるメンバーであるかという所が重要ですが、もし、リーダーが遭難してしまったら。。。もし、簡単に戻れない登攀中に遭難してしまったら。。。もし、沢泊など簡単には戻れない地で遭難してしまったら。。。遭難を発生させてしまった時にサポートとして動ける、または早急に対応できるメンバーがパーティにどれだけいますかという中身の部分がパーティ山行として最も大切なポイントだと思っています。

日ごろの山行を通じて、または事前に講習や訓練山行を通じて、また山岳会の例会にて、山行計画や山行報告、過去の事故事例など、パーティ山行の重要性についての学びはたくさんあります。個人の危機意識の差がパーティー山行の総合力に大きく左右することを理解すれば、自ずとメンバーの一員として行動が変わってくると思います。その先に初めて、パーティ山行という言葉が共通の言葉として、同じ思い、同じ内容で考えることができるようになってくるのではと思います。N-guy