古道をたどって木曽駒ヶ岳へ
9月30日、会の仲間と上松Aコースから木曽駒ヶ岳に行ってきました。
週末に予定していたことがなくなってしまい、どこかへ長歩きしようと思い、冬の下見も兼ねて行ってきた。
古道と言われるこのルート。いつから登られていたか、不勉強で知らないが、言い伝えでは、上松の神官が登ったのが天文年間というから500年余ほど前のことなのだろうか。
御嶽山の黒沢道を開いた覚明行者は春日井の人らしいし、駐車場前の霊神碑に名のある乾山講社は犬山だ。このあたりの山岳信仰はなぜか尾張地方と縁が深いようだ。
下って明治になってからは、W.ウェストンがめざめの床の宿から、この道を通って伊那の宿まで12時間で縦走している。
1月前に続いてウェストンの足跡を追うことになってしまった。
前日の夜に、アルプス山荘近くの駐車場に来て仮眠。すでに2台停まっていたが、寝ているようすはなかった。
駐車場は犬山の乾山講の霊神碑のすぐ前。折しも中秋の名月で月明かりがきれい。
翌日は5時20分に出発。砂防堰堤までの車道は通行止めなので、ここから敬神の滝まで北股沢を横切り歩いていく。
敬神の滝の小屋。車が1台停まっていた。この奥に敬神の滝がある。かつては滝行の場か。
ここからは、よく整備された道をたどっていく。下草も刈られて歩きやすい。
2時間も歩くと、金懸小屋に着く。立派で、投下式のトイレもあるが、近くの水場は枯れていた。
このあたりは、尾根沿いではなく、岩場を避けるように道がつけられ、急な斜面を巻くようなところ。雪の着き方が悪かったり凍結あれば、要注意だろう。
上部を見上げると厚い雲。上は雨かな?
ここを過ぎると基本尾根伝いの歩きやすい道をひたすらたどっていく。8合目までは樹高のある樹林帯の中なので、冬でも季節風はしのげるのではないか。
傾斜が落ちところどころ冬は幕営できそうなところも出てくる。
しばらく歩くと、8合目に着く。ここは霊神碑がある広い平坦地。この先はボチボチ森林限界になるので、冬はここで幕営してピークを踏んで来るのがいいかもしれない。
このあたりから、秋の日差しも出てきて、黄色に色づいた秋山らしい風情になる。
三ノ沢岳が顔を出す。この日は終始あいにく遠望は効かなかった。
行きは木曽前岳を越えて、玉ノ窪小屋に。
巻き道との分岐から木曽前岳へは、無雪期はなんでもない痩せた尾根や岩のパーツが、冬の強い季節風が吹く時は核心となりそう。
木曽駒本峰への道。烏帽子岩という巨岩。なるほど烏帽子そっくり。クラックが走り登れそう。そんなことはしないけど。
最後の登りをヒーコラ登ると、急に人が湧き出した。
山頂付近には、ざっと4~50人はいたと思う。ここまで4~5人しかすれ違わなかったことを思うと異世界のような光景だった。
帰りは、巻き道から降りてみた。
一部崩壊して頼りないトラロープがかかっていた。
下りは黙々と歩く。
地面を見ると、特徴あるトチノミがたくさん落ちていた。見上げるとトチの大木が。
最近読んだ本によるとトチノミは豊富な栄養を含んでいるので、縄文の昔から食べられていたようだが、そのままではとても食べられるシロモノではなく、複雑な灰汁抜き工程が必要らしい。そのためか1万年以上にわたる縄文期でも中期(5,000年くらい前)になってからやっと食べられ始めたと書いてあった。
その点、動物は平気なのだろうか…と素朴に思う。
出発から約10時間後、雨に降られず駐車場に戻ってこれた。
このルートは、今春に会員のSさんが途中まで登っている。
今回は新人さんの冬の幕営山行を想定して下見も兼ねて行ってきたが、一番の核心は人が入らないことでのラッセルかもしれない。
なお、行く前にいろいろ見ていたら、28年前に三ノ沢を溯行し、木曽駒ヶ岳からはこの道を下山していたことがわかった。すっかり忘れていた。
山行データ 1日目
山名・山域 | 木曽駒ヶ岳 |
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山行ルート | 上松Aコース |
日付 | 2023.09.30 |
所要時間 | 約10時間 |
山行人数 | 2人 |
天候 | 曇り時々晴れ |
山行記録 | 5:20 アルプス山荘前駐車場 11:00 木曽駒ヶ岳 15:35 駐車場 |
備考 |